本来は南から順に歩いて今日は箱崎半島一周の予定のところ、箱崎半島飛ばして鵜住居から北へ歩きます。なぜそうしたのか全く思い出せないのですが、おそらく2日目に30km歩いてしまうともう3日目がもたないと判断したと思われます。トレイル中は現地で頭の中でしょっちゅう作戦会議をしています。それも楽しい。
釜石駅には来月(2023年6月)で運行終了になるSL銀河を見ることができました。私も2回乗りました。前回は夏の遠野散策の際です。
そういえば東北を離れる直前にも思い出作りに遠野散策に行っていました。そのうちまた記事を書こうと思います。
SL銀河を横目に私は三陸鉄道に。
トライステーション。ラグビーコートがあります。今回は通っていないですが。
鵜住居駅のそばにはうのすまいトモスという施設があり、震災の慰霊碑や関連施設があります。ここにはまた明日来るので今日は通り過ぎます。
鵜住居だけあって鵜が住んでいる!鵜はよく岩の上でこんなポーズをとっています。羽を乾かしているんでしょうか。コウモリのマークみたい。
鵜住居は釜石市ですがここから大槌町に入ります。少ししっとりして海を感じられるいいルートです。
大きな防潮堤。防潮堤を通り過ぎると大槌町の町中に入っていきます。大槌町は湧水の町。あちこちから湧水が自噴しているそう。
町の中にはこのような感じで湧水ポイントがあちらこちらにあります。
少し雲行き怪しいですが菜の花畑と遊水池。
池の中には小魚がぴょこぴょこと見えます。絶滅危惧種の淡水イトヨがいるらしい。津波により元々淡水であったところに潮をかぶり生態系にも大きな影響があったようです。
大槌の駅をわき目に見て、町を見下ろす城山に登っていきます。
これはなんだかどこかで同じようなものを見たような…。
これも気仙大工佐官の家にあったのと同じ、神戸市から分灯された「希望の灯り」です。東北に5つほどあるようですが私が見たのは2つ目。このそばには震災で身元のわからなかった方々のお骨を収める物故者納骨堂があります。
ここから城山までは整備された遊歩道です。でもクマは出るらしい。
少し時期の終わりかけのツツジの中を歩いていきます。
大槌の町を見下ろします。穏やかな海とそこに広がる町。大槌町は津波により役場を含め大きな被害を受けました。東北沖地震の前から度々津波が襲来していた町の中、高さ6mの防潮堤をまさか波が越えてこないだろうという思い込みや、地震後の災害対応をその場に残ってやらなければいけないという使命感が、町長をはじめとして役場で働く3割の職員の方々の命を奪いました。また幹部の半分以上が亡くなったことにより震災後の対応も遅れることになりました。
大槌町役場職員の地震後の対応、一人一人の動き、そして被害を生むことになってしまった行動は調査報告書が出ています。今後同じ悲劇を繰り返さないため、そして数字ではなく確かにそこに個々で動く名前のある人々がいたことを忘れないようにしたいです。
緑の中を抜けて城山を上がっていきます。ヤマガラがちょこちょこ。
八重桜が満開です。
城山は昔大槌城と呼ばれる城がありました。町を一望できる高台に立つ城からは城下で暮らす人々の様子がきっとよく見えたことでしょう。展望もよくちょっとお散歩するにもいいところです。
小川を眺めながら城山を降りて、次は筋山に登ります。
筋山の「みはらしの丘」は何にも見晴らせない。
眺望は全くないですが森林浴と思うととてもいい道です。この先にある崎山展望台もそこまで眺望は良くなかったです。木が茂りすぎている。
筋山を下ると吉里吉里海岸が広がります。白い砂浜。ちょっと曇ってきてしまったのが残念です。
今日のゴールの吉里吉里(きりきり)駅です。鳴き砂の浜とのことでしばらく踵でぎゅうぎゅうやっていましたがよくわからなかったです。みちのく潮風トレイル上にはいくつか鳴き砂の浜があるのですが全て私はならせていません。何かコツがあるんでしょうか。
吉里吉里から三陸鉄道に乗って釜石に戻ります。
そしてお腹が空いたので再び工藤食堂さん!今度はカツ丼に挑戦!盛られすぎている!
基本出されたものはお腹がはち切れようが完食します。はち切れそう。ご飯を食べ終わった頃には釜石の町は夕焼けに染まっていました。
釜石の夕焼けは私のこの度の中の5本指に入る好きな風景です。奥に見える山々と人の営みを感じます。また明日も頑張ろう。
今回は25km。やはり20kmを超えると歩きごたえが出てきます。もうだいぶ足裏に限界がきはじめています。まだまだ旅は長い。